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サッカーと憧れの先生

1973年12月19日生まれ、香川県高松市でなかなか貧乏な家庭で3人兄弟の長男。

小さい頃は、絵を描いたり、プラモデル作るのが好きでなぜか女の子から遊ぼうと誘われることが多かったなぁ?笑

小学5年で担任になった先生に出会って人生で初めて「こんな風になりたい!」と感じて、

その先生が監督を務めるサッカー少年団に入り僕のサッカー人生が始まった

この先生とサッカーとの出会いは自分にとって大きな変化のスタートだったな。

朝は新聞配達して近くの広場でサッカーの練習して小学校に通うのが日課…

今思うとかなり夢中になって没頭してたな笑(キャプテン翼全盛期だった)

この頃から将来はサッカー選手になる事しか考えてなかった。

中学時代も地元の選抜メンバーに選ばれて、「おれ、サッカーエリートコースに追ってるかも!」とか思ってた。

なんとか地元のサッカー名門高校に入学、高校2年、サッカーでは1年生からレギュラーになって、順調にエリートコースを進むかと思ってたけど、

ある日突然監督(リアルに長渕剛激似)に呼び出され「俺はお前は嫌いや」と言われそれ以降一度も試合に使われなる。

悔しいけど以後どんなにアピールしても練習しても成長を数字に出しても認めてもらえなかった。

…未だ理解できないけどこれが現実。

美容師人生の始まり

卑屈になって部活に行かなくなってた頃、同級生から美容室のバイトに誘われ、美容師人生のスタートとなる。

高2の秋から通信制で美容学校に入学。
月曜は美容学生、他は高校生のダブルスクールが始まって世界はグッと広くなり、いろんな人との出会い、新しい価値を知った。

…高校2年だったこの頃、新聞配達、中華料理屋、美容室と掛け持ちでバイトして自分の時間を切り売りしてほとんど遊ばず働いた。

僕の周りの幼なじみはみんな高校いかずに働いてて(現場仕事や水商売)

稼ぎも多く、仕事も遊びも思いっきりやってるの見て、「貧乏家庭の高校生」の自分が遅れてる気がしたんだな。ミーハー全開…笑。

なんとか高校卒業して、バイト先の美容室に就職。

バブル全盛期の美容室は、貧乏でサッカーバカで体育会系の自分には、到底理解できない「お金持ち」「女の世界」「上下関係」

とにかく理解不能…。

それでも続けられた3つの理由

それでも辞めず続けたのは、

  1. 「じいちゃんの言葉」
  2. 「金持ちに負けたくない」
  3. 「母ちゃんが働いて育ててくれた事を裏切りたくない」

この3つ。…美容師になりたいではなかったんよね。

だって、美容師目指してる時は、(特にバブル当時は)男性美容師で活躍してる人が身近にいなかったから

自分が美容師で目指す理想像がまず想像できなかったし、まだまだ今ほど携帯やスマホから情報をどんどん取れる時代じゃなかったからね。

18歳から2年間練習やセミナーに明け暮れて、21歳でスタイリストデビュー。

最初は自分の友達かカットできず、会話もうまくなく、お客様は増えなかったな…まじでダサかった。

ただなんの根拠もないけどこれだけは染み込んでるもので、

子供の頃から大好きなじいちゃんから耳にタコできるほど言われ続けた言葉。

「なんでもええ、けどやる以上は1番にならなあかん」ってやつで、

「美容師で1番って、日本一の美容師かぁ〜」と漠然とそうなると信じてて、

だから日本一練習するとか、みんな休みでも自分はセミナー行って勉強する。

とにかく手当たり次第にお金も時間も使って誰よりも量を増やすって自然と動いてた。笑

刷り込みってすごい…。(ここからは別の記事に…長くなるので)

何はともあれ、22歳で支店の店長を任せてもらい、23歳でコンテスト全日本グランプリ受賞!

という事で、ひとまずじいちゃんの教え通り「一番になったよ」

あ、どうやってお客さんが増えたのか??これも別の記事で。

調子乗っててもっと広い世界があること知った

もちろんこの頃には色んな凄い人や凄いチーム、凄い会社をいっぱい知ってしまってた。

だから日本一になった時すでに上の世界が広がってて、追いかけずにはいられない自分になってたなと。

ある意味で順調に調子に乗って25歳。

本当にあの頃の自分に話せるなら話して正したい!(だから結構ブログの記事は過去の自分に書いていくつもり)

自分より周りの成長を変に考えて、きっと口ばっかりで、過去の栄光引っ提げて超ダサいやつだったと思う。心からダサかった。

それでも朝まで一緒に飲み明かしり訳もなく夜中まで語り合った先輩、仲間、後輩は本当に大切な存在でいい思い出になってる。

その後輩から言われて目が覚めた。

「青木さんの言葉はもちろんありがたいです。でも僕は言葉より、行動や仕事をしている青木さんの背中を見て学びたいんです!」

これを行った彼は今でもたまに一緒に酒飲んで付き合ってくれてます。ありがと。

独立開業!DITAのスタート

時は流れて32歳、独立開業に踏み切った。

なーーーーんも知らないし、調子に乗って好き放題してお店にもいっぱい迷惑かけて、

それでもクビにせず、今まで面倒見てくれて人生の大切なことを本当にいっぱい教えてくれた第2の母ちゃんみたいな信子先生には

感謝、本当ーーーーに感謝。死ぬまで忘れません。絶対に。

今は信子先生の息子さんが社長になってて、実は同い年。これまた長い付き合いで今も一緒に酒飲めるいい関係。

お互い飲んだら長いし、話が長い…。笑

2017年3月6日「Dita」創業。

完全予約制、1日6組のみ。紹介以外の新規はお断り。

ありがたいことにオープン前から予約の電話がなり響き予約表がどんどん埋まっていった。

あの時の鳥肌立つ感じと予約とってるシーンは今でも覚えてる。

…このあたりまでがなんかいい感じのお話。(ずいぶん綺麗な経歴みたいになってる…恥)

人、お金、経営、時間…見えてない、なにも

さあ、ここからは失敗や失敗、さらに失敗の連続。

まずお客様いっぱいなのに給料取れない…。

先が怖くて。簡単にいうと、経営者1年生。

税金、保険、利益、簿記、キャッシュフロー、本当にど素人すぎて怖い。

その割に、毎年1店舗増やしていこう!とか根拠も計算もなく言ってて、

無理してスタッフ取ろうとするし、仕事の任せ方がわかってない、フレームワークも渡せない…書ききれない。

店長経験や、スタイリストの力と経営は全く別の能力って解ってるつもりでやってたけど

なーーーーーーーんも解ってなかったね。

でも、2年後、2店舗目オープン。

またまた3店舗目、スタッフは15名。

セミナー講師や、撮影の仕事も増えて、またまた調子に乗ってたね。

自分の軸がしっかりしてないし、足下が見えてない。

もちろんスタッフや大切な人のことも、何も見えてない。

いい社長で、いい美容師でいい人で居たかったんやなぁ…。

八方美人の張りぼては無惨に砕け散って、色んなものを手放した。

それは、修復できないほど周りに迷惑かけたし、もちろん自分も死にたいほど嫌になってた。

…そう、自分の器を見誤った。人を支えてるつもりで支えられてたし、やるべき行動をできなかった。

どこまでも落ちて這い上がる、その中で…

立ち直るのに何年もかかった。その間も自分を支えてくれた人がいっぱいいてくれて

5年かかって少し笑えるようになった。

失敗するとこんなことがある

利害関係で付き合ってた人や会社は対応が激変する

信頼してくれていた人達は去っていく。...これはお金より名誉より辛い。

失くしたものを数えてさらに後悔とネガティブに襲われる。

現実を受け止めて、できることをやってそこから這い上がれって、人は言う。

辛いからって、ネガティブに浸ってスネても、一瞬で後悔する自分に気付く。

いくつかの冠や小さな小さな栄光も経験できたけど、ぬぐいきれない染み込んだ汚れや、深い傷跡もいっぱいついたなぁ。

あれから数年

今も2ヶ月先まで予約は埋まり、お客様とスタッフに支えられて経過は順調…かな?

これからまだまだ力をつけてはっきりとやりたいことがあるからこの人生で達成したい。

このままじゃ終わりにできないでしょ、まだまだダサい。

今までの失敗経験やそこからどう立ち直ったのか、何が間違ったのか。

そんな経験が今は誰かの人生の役に立ったり、誰かを救えるかもしれない。

もしもまた自分が迷ったら、読み返して目を覚ますためにも。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

あなたにとって、現実と理想のギャップを感じ、没頭と葛藤を繰り返す毎日を

一歩ずつ幸せを感じる一日でありますように。

 

 

 

 

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